やっぱり「平和」って、良いなぁ…。

未だ引き摺る時差ボケの為、再び早朝起きて仕舞ったので朝食を買いに家を出ると、この暑いのにバッチリと着込んだ機動隊員が、神保町の我が家の前の路地でバリケードの準備をして居た。

そして其の後着替えて出掛ける頃には、表の靖国通りには既に重厚なバリケードが何箇所も完成して居て、この日が「終戦の日」だった事を僕に思い出させる。

その69回目の「終戦の日」のお昼時、僕は日本人だがアメリカ人と結婚し、何十年もアメリカに住んで居た重要顧客と、外国の美術館に在籍する年配の日系アメリカ人学芸員、そして若いドイツ系アメリカ人の学芸員の3人と共に、Tホテルでランチを共にする事に為って居た。

そしてホテルのロビーで彼等に会った時、若いアメリカ人キュレーターが、僕に「マゴ…今朝街で、日本の国旗が『半旗』に為って居たのを幾つも見たんだけれど、誰か重要な人が亡くなったのかい?」と聞いて来た。

其の問いに、僕はハッと為った…若いアメリカ人が「日本が降伏した日」等、覚えて居る訳等無い。そして、その後の食事は非常に楽しい物と為ったのだが、目の前に居る何十年も前にアメリカ人と結婚した日本人、アメリカで生まれ育ち、戦争中には大変な苦労をしたで有ろう年配の日系二世、そして僕よりも若いドイツ系アメリカ人の顔を代わる代わる観る度に、僕は一寸複雑な気持ちに為って仕舞って居た。

そんな酷暑下の日本…重要な仕事をゲットした日の夜は、作家H氏ご一家と弟の店「神田いるさ」で、H氏のフランス滞在中の話や新作短編集の話、世界最高峰のピアニスト、マルタ・アルゲリッチの父親が全て異なる3人の娘の話、来ニューヨークの予定の話等をしながら、楽しいひと時を過ごす。

そして今週は、後2つイヴェントが有った。

先ずは、最近帰国したニューヨークの友人Aちゃん+S君カップルと共に、高円寺の超昭和なアパートに出来た、現代美術家集団「C」の新アジト「K」を訪問。

迎えに出て来て貰った「C」のリーダーU氏の案内で見学した、「細胞」の様な、或いは一種の「メタボリズム」建築とも呼べるこの昭和な建造物は、アメリカの有名ミュージシャンも買いに来るリアル・カッティング・エッジなファッション・ブランド、「G」を施設内で主宰する若いイケメン・デザイナーのE氏に拠って改装された物。

その中に在るCのアンテナ・ショップでは、Tシャツや写真集、アート作品も売られ、「焼酎『雨』割り」等も飲める(笑)。そしてU氏やE氏と皆でベタッと床に座り、「ずんだ餅」を肴に共に一杯遣りながらアート話に花を咲かせた、妙に落ち着く階下の「打ち合わせ室」、大変にセンスの良い「G」のショップと共に、此処はもう最先端アーティスト達の「秘密基地」で有った!

その後は基地近所のバカ旨沖縄料理店で食事をし、高円寺の夜を満喫したが、カイカイキキ主宰の「バー・ジンガロ」や「まんだらけ」の入る中野ブロードウェイの在る中野駅前と共に、これからの中野と高円寺は、日本に於ける現代美術やファッション、サブカルの新しいメッカに為るかも知れない…嘗て若い頃、東中野飴屋法水「動物堂」!)に住んで居た事の有る僕としては誠に嬉しい限りだ。

そして昨晩は、マヨンセと共に青山ブルー・ノートでのチボ・マットのライヴへ。

チボ・マットの日本でのライヴは、僕に取っては恵比寿リキッド・ルームに続いて2回目なのだが(拙ダイアリー:「Cibo Matto@リキッド・ルーム」参照)、今回はジャズ・クラブでのギグと云う事も有って編曲も面白く、ミホさんの美しいヴォーカルや、ゆかさんのファンキーなキーボード、嘗てコーネリウスのドラマーだったゆうこさんのタイトでパワフル・ドラムと共に、何とも云え無い「間」のMCや、凝りに凝った音やリズムに溢れるグルーヴィーな曲は、もう最高の一言!

一つだけ残念だったのは席が全てシィッティングだった事で、あれだけノリの良い曲なのに、立って踊れ無かった事…ニューヨークに住む身としては、掛け声や叫び声等で騒々しいライヴに慣れて居る事も有って、静かな会場にも一寸違和感が有ったのだが、自分はもうシート上で巨大な体躯を揺らしてノリノリだったので、文句は云えまい(笑)。

そしてライヴ後はミホさんやゆかさんと会い、皆で歓談して帰った後、家に着いてから熟く思ったのは、「平和って良いなぁ…」って事だった。

何故なら右翼が靖国通りで叫べるのも、芸術集団が広島の空で「ピカッ」とさせられるのも、美味しい沖縄料理が食べられるのも、アメリカで活躍する日本人女性バンドが、日本のブルー・ノートで「マザー・ファッキン・ネイチャー」を歌えるのも、日本人作家がフランスに滞在出来るのも、顧客が60年代にアメリカに行き、アメリカ人と結婚出来たのも、日系2世のキュレーターが丁度50年前に初めて日本を訪れ、東京オリンピックを観たり出来たばかりの新幹線に乗れたのも、米美術館のドイツ系キュレーターと「終戦の日」にすき焼を食べられるのも、コートニー・ラヴレディ・ガガが日本で最先端ファッションを買えるのも、そして僕がニューヨークで働けるのも、何を隠そう第2次大戦後の日本が、現憲法下でずっと「平和」だったからだ。

この事を考えると、どんな理由が有ろうが、こんな素晴らしい恩恵を捨てる(或いは、「捨てる可能性を持つ」)なんて、頭が悪過ぎるとしか思えない。

「平和」は僕らの側に何時でも在る訳では無い…在る様に努力せねばなら無い、と再び心に誓いつつ、「平和って、本当に良いなぁ」と染み染みと感じた、終戦の日の夜に為りました。