イマドキ高校生との「初体験」。

いやはや日本は暑スグル…そしてその日本でもかなり暑い京都で、若者達と或る「初体験」をして来た。

それは、来年から某美大に開設される新コースの「AO入試」での事。

「入試」と云っても受験したのでは勿論無くて、来年からこのコースで客員教員として教える僕は、試験の立会いと審査、そして講義レクチャーをしたのたが、この「入試」の内容が、何と2日間で「『茶杓』を造る」事…そして僕も高校3年生達と一緒に茶杓作りを初体験して来たのだった。

現代美術家でも有る学科長肝入りのこのコースの理念は、能楽や茶道、立花等の室町時代に生まれた日本伝統文化の充分な理解を礎とし、その強固な礎を持った上で海外へ羽撃く人材を育てる事。そこで僕の様な者も呼ばれた訳だが、今回の入試はオープン・キャンパス等でその高ハードルな理念と講義内容を十二分に理解した学生が集まった、非常にレヴェルの高い、僕に取っては感動すら覚える物と為った。

さてその試験日初日の朝、山の斜面に在るキャンパスの最も標高の高い所に位置する「禅堂」の様な会場に、全国から集まった20名弱の高校生達(今の美大の通常の男女比より、男が多い事に吃驚)は、緊張の為か皆一言も口を利かず、下を向き、緊張感漂う雰囲気。今回の入試は「『授業形式』の『試験』」なので、学科長からの話に続き、緊張を解す為に、受験生一人一人に自己紹介と出身の「街」に就いて話して貰う。

おずおずと立ち上がり、小さい声で自己紹介をする高校生達は、僕の目には全くイマドキで内向的な子達で、正直「大丈夫かな?」と危惧した程だった。そんな中、生まれて初めてナイフを持ったと云う子も多かったが、いざ茶杓師の先生からインストラクションを受けると、受験生達は戸惑いながらも黙々と作業を始めた。

先ずは竹を選び、筒を切り出す。次に茶杓用に切られた節の付いた竹を選び、印を付け、アルコールランプで炙り、水の中で曲げる。曲げた竹をタコ糸で固定し、翌日迄乾かす。

その間、本来は茶杓を作ってからそのサイズに合わせて筒を作るのだが、今回は時間の関係で茶杓を乾かして居る間に筒を作る事にする。筒を削り、その筒の口に合う様に、そして緩過ぎず硬過ぎない様に、筒蓋を角材から切り出して造る…これが案外難しく、何度も失敗する学生も出て来た。

夕方は休憩を兼ねて茶室に移動し、僕が海外での日本美術の評価や、ニューヨークのアート・マーケットの話を1時間程する。この新コースの理念は上に記したが、此処で補足すると、日本の美大生の日本での就職は将来益々厳しく為り、それはアーティストもキュレーターも、ディーラーも恐らくは同じ状況に直面すると思われる。

と云う事は、卒業直前に慌てない様に「外国へ出る準備」を事前にしよう、と云うコンセプトが必須と為る。そこで先ずアート・タームを含んだ英語をキチンと勉強し、オークションを含めた海外のアート・マーケットの仕組みを学び、外国での日本美術工芸の高評価を学ぶ…そうして海外に出た時こそ、室町文化を中心とした日本伝統文化の正しい知識が役立つと、我々は信じて居るのだ。

これは僕の経験からも確かで、ロンドンやニューヨークに居ると、外国人の誰一人として僕にルノワールやウォーホルの事なんか聞かない…そう、彼らが僕に聞きたいのは禅や茶道、能、天、水墨画なのだから。「真の国際人」とは「自国の文化を、海外の人に正しく伝える事の出来る人」の事を云うので有る。

そんな話をすると彼等の目は輝き、英語の学び方や海外でのアート系就職状況に就ての質問が出て、最近良く云われる「外に出たくない」「内向き」の学生ばかりでは無い事を教えられた。

1日目はそうしてレポートを提出して終わり、2日目を迎えた。

2日目に為ると、愈々茶杓を削る…そして初日殆ど話さなかった受験生達の顔は明るく前を向き、お互いに言葉を交わし、作品を見せ合い、意見を交換し、教え合い始め、謂わば「工房」の様相を呈し始めた。これには教師陣も吃驚し、午後にそろそろ茶杓が出来、筒に銘と自分の名前を入れる頃に為ると、この受験方式が正しかったと自信を持ち始めた位だ。

そして銘を入れサインをした、高校生達に取って謂わば「最初の作品」が出来上がると、合評の為に皆で茶室に移動し、車座に座る。その後一人一人が床の間の前に出て来て座り、銘の由来と制作上何が一番難しかったかを皆の前で話し、その後教師陣が茶杓の評価をする。

受験生達が造った茶杓と銘は、皆「規定の中」で生まれる個性が出て居て、大変面白い…「自由」とは規制の中でこそ、その概念が生まれると云う事を再認識したが、それに付けても、細部の問題は有れども、全作品誠に良く出来ている。

それに引き換え僕の茶杓銘「邪子」は、節が余りに立派だった為にそれを残して生かした「ジャコ」メッティの彫刻の様な形状から名付けたのだが、作者同様文字通り天邪鬼で作意タップリ、高校生達の素直な作品とは比べらくもないモノに為って仕舞ったのだ…オトナってやーね(涙)。

合評が終わると、教師陣からのサプライズ企画…自分で造った茶杓を使って茶を点て、「隣の人に飲ませる」。これを受験生達に遣らせてみると、自作茶杓で茶が掬えた時の喜び、そして他人の為に自分の造った道具が役立った悦びに、顔を輝かせた!

受験が終わり、三々五々別れを惜しんで帰って行く受験生達…中には、手を10か所以上も切って仕舞った子や、茶杓が筒に入らなかった子も居たが、モノ作りの醍醐味を知った後、初日の朝の様な暗い顔をして帰った子は、誰一人居なかった。

イマドキの高校生は、大人が本気で向かって行けば、本気で返してくる。ナメて掛かれば、ナメ返して来る。

オトナな僕がイマドキ高校生から大いに学ばせて貰った、茶杓作りと受験立会いの「初体験」でした。


*お知らせ*
2016年12月16日、19:00-20:30、ワタリウム美術館での「2016 山田寅次郎研究会4:山田寅次郎著『土耳古画考』の再考」 に、ゲスト・コメンテーターとして登壇します。詳しくは→http://www.watarium.co.jp/lec_trajirou/Torajiro2016-SideAB_outline.pdf