「革命」と「自己破壊」を考えた出張。

今日は先ずはお知らせから。

僕の長い友人で、現在ベルリン工科経済大学で教鞭を取っている渡辺真也君が製作中の映画、「Soul Oddysseyーユーラシアを探して」のクラウド・ファンディングが行われている(→https://www.indiegogo.com/projects/soul-odyssey-in-search-of-eurasia#/story)。

ヨゼフ・ボイスとナムジュン・パイクのコラボレーションに触発されたこの記録映画は、本年度ベルリン映画祭にも出品予定…僕もサポートして居るこの企画、共感して頂ける方の応援をお待ちして居ります!

さて本題…先週、フランスからニューヨークへと帰って来た。

が、急に忙しくなって仕舞い、昨日一昨日は東部と中西部の都市に各々「日帰り出張」と云う恐るべきスケジュールが入り、もうクタクタ…一体どんだけ俺を飛行機に乗らせりゃ気が済むんだ?

昨日行ったその中西部某都市では、仕事で行った或る美術館の隣に先月オープンしたばかりのホテル、その名も「The Art」を訪ね、玄関から各フロア、レストランや廊下に並ぶ「本物」のオルデンバーグのスカルプチャーやソル・ルウィット、サム・フランシスやルシェ、キキ・スミスやスティル、バルデッサリ等の作品を見せて貰う。

これだけの高額アートを「パブリック」に飾って居るホテルは、恐らく世界でも数少ないのではないかと思うし、その保険額を考えただけでも気が遠くなる…そして仕事は順調に行った物の、相変わらずラガーディアに帰る便が遅れ捲り、朝4時半起きの日を跨いでの帰宅となり疲労困憊。

と愚痴りながらも、東部某都市中心部から車でブッ飛ばして優に1時間は優に掛かる、深い森の中に住む顧客を一昨日訪ねる事が出来たのは、何とも幸運だった。

それはこの日、とうに70歳を超えているその顧客と僕がした、日本文化や経済、現総理の無謀さや無駄なオリンピック、若き日の白洲次郎等の話が、彼の持つ素晴らしい江戸絵画作品に勝るとも劣らず魅力的だったからだが、その数多の会話の中に、特に印象深い話が有った。

その顧客は、父親がGHQシヴィリアンだった関係で、小学生時代から高校を出る迄日本に住んだアメリカ人で、彼の家族は終戦後一時期GHQが接収した、後に三島由紀夫の「宴のあと」のモデルとなったと云われる政治家の家に住んで居た。

さて彼と彼の両親、妹の四人家族は、その実に素晴らしい日本建築の屋敷を敬愛したので、彼等がその家に住み始めてからも、アメリカ風に改装したり、和風の佇まいを壊したりしない様に相当気を付けて生活をして居たが、そんな或る日、その家のオーナーたる政治家夫人が訪ねて来て、家を見せて欲しいと云って来た。

彼等は喜んで元の主人を招き入れたのだが、夫人は大きな門を入り庭に入った所で急に泣き崩れて仕舞ったので、顧客一家は彼女が懐かしさの余り泣いたのだろうと考えたのだが、夫人が泣いた理由は別に有った。

それは、GHQに接収されアメリカ人に住まわれた多くの日本家屋が新しい住人に拠って西洋風に改築されたり、赤や黄色のペンキを塗られたりして居たのに、彼女の家は顧客家族に拠って元来の趣きが完璧にプリザーヴされて居た事への嬉しさからだったので有る。

…で、此処で終わればこの逸話は「良く有る、良いお話」なのだが、顧客の話は未だ続く。

時が経って占領軍も帰り(彼のご両親は、亡くなる迄日本に残った)、幼少期を過ごした日本をこよなく愛した彼が、ハーヴァードでの日本近代文学小林秀雄!)の勉強を中断して東京の大学に留学した時の事だ。

彼は東京に戻るとノスタルジックな気分に為り、子供の頃住んで居た政治家の屋敷を見に行こうと思い立った。そして記憶を頼りに探し始めたら、見覚えの有る通りも見付けたが、自分が住んで居た肝心の日本家屋がどうしても見つからない。

が、ふと空を見上げた時に彼はその理由を理解した…彼が其処に見たのは、記憶の中に在る美しい日本家屋とは程遠い、大層醜いビルに大きく記された、あの時泣き崩れた夫人の名の付いた「⚫️⚫️マンション」と云う文字だったのだ!

「あれだけ僕達が気を付けて大切に守った家を、何故日本人自らがあんな醜いマンションにして仕舞うのだろう?日本人は、自分で自分達の歴史や文化を破壊して居る…何故だ?」

これがその時から現在に至る迄の日本に対する不満と疑問だと、ドナルド・キーン氏とも長年親しく、自身の生涯をアメリカと日本との友好に費やした彼は嘆き、日本には教育制度や選挙制度の早急な改革が必要だし、オリンピックよりも東北復興を優先させる事が先決だと語気を強めて語った。

そして結局数時間ディスカッションした末に僕達が至った結論は、「日本にはドラスティックな『革命』が必要で有る」と云う事だったのだが、それは対外的な「戦争」等では無く、顧客が微妙くも指摘した「70年安保」の如き、国内で消化すべき「革命」で無ければ為らない…が然し、そんな気力も体力も知力ですら今の日本人には求むべくも無い。

と、僕も毎日の様にそう思っては居ても、アメリカ人ですら必要性を感じて居るのに、日本人自身がその「革命」を全く実行出来ない現状に、僕は一国民として物凄い恥ずかしさを覚えたのだ。

伝統文化の保存は重要だが、伝統とは「革新」の連続でも有る。

そして、その革新の仕方や時期を考えるのが重要なのは云う迄も無い…その意味で、日本の伝統・文化・芸術に如何なる形でも関わって居る人間の中で、今の政治に対して物申さ無い者が居るならば、その人間には文化芸術を語る資格は無い、と思うし、その沈黙がオリンピック利権を考えての事だとしたら、以ての外だ。

何故なら、政治が確りしないと我々の生活が安定しないからで、それは例えば「言論統制の無い社会」の様に、良い生活環境で我々が生きる為の必要条件だからだ。その反面、こう云う時期だからこそ、政治的・思想的・芸術的「革命」を起こす大チャンスだから、でも有る。安保法案の強行採決が行われた今、この事に言及しない(賛成反対を問わずだ)アート関係者は、その存在意義を僕は疑問視する。

そして安保法案、強行採決、民意無視、それを追求しない&強行採決を中継しないクソNHKを始めとするメディア、国立競技場、福島、似非右翼、安倍晋三森喜朗、百田某…もう良い加減日本人、特に若者、文化芸術関係者は「ウソ」と「ニセモノ」「マヤカシ」から目を覚まさねば為らない。そして今こそ、嘗て持って居た「ファイティング・スピリット」を取り戻さねばならない。

我々日本人は今、自分達で自分の国を壊し始めている…そんな事を強く感じた出張と為った。