コレクターの涙。

史上最強とも云えるハード・スケジュールで、西海岸に来て居る…(涙)。

4日前まで香港、2日前まで日本に居て、今日これから日本に帰り、その2日後にはニューヨークに戻ると云う、トンデモ旅程の最中に僕は居るのだが、その成田からのANA便で観たのは、ケネス・ロナーガン監督作品「マンチェスター・バイ・ザ・シー」。今年のアカデミー賞ケイシー・アフレックが主演男優賞、ロナーガンが脚本賞を受賞した話題作だ。

個人的に非常に興味の有った映画だったが、その期待は全く裏切られず、傷ついた人の心の「修復」を淡々と描く、心に染み渡る作品で有った。

主演男優賞を獲ったアフレックの演技は誠に素晴らしく、感動と共感を呼ぶ。そして元妻役のミッシェル・ウィリアムズや甥役のルーカス・ヘッジス、兄の元妻役のグレッチェン・モル等の、周りの俳優達の演技も申し分無く、例えば「ラ・ラ・ランド」や「ムーンライト」とは異なる、より静かなのにより激しい、極めてエモーショナルな「地方のアメリカ人」の人生を垣間見る事が出来る。

人生で思い掛けず背負ったモノの重さに、自分が如何にクソかと云う想いに、人は何処迄耐えられるのか?その重さを軽減するには、何が必要か?そして人が生きて行く上で、誰かに必要とされる事がどれ程重要か?…を考えさせられた名作。是非一覧をオススメしたい。

さて今日の本題。

僕の今回の西海岸出張は、或る高名なるコレクターが集めた日本美術コレクションの一括売却が決まり、そのシッピングの確認の為だったが、もう一つの大きな理由は、その売主で有る娘さんで有るCさんに会う事だった。

娘さんと云っても、もう70代に入って居るこのCさんとは、ここ何年かかなりの時間を共にした。世界的に著名な方だった彼女の父が、1970年代から集めた200点を数える日本絵画のコレクションは、貴重な室町水墨画を中心とする物だが、仏画琳派等も含む。

Cさんは、父親が亡くなった後は母親と共にコレクションの管理をして来たが、その母親も一昨年100歳を超える長寿で他界され、その後彼女は家族を代表する形で、コレクションの管理後見人と為って居たのだった。

そして様々な事情で家族は作品を売る事に決めたのだが、その売り方には家族の強い希望が有って、それは、1. 日本に里帰りさせる事、2. コレクションを分散させず、一括で1人に売却する事…この条件を充せるなら、と云う事で僕は仕事を請け負ったのだった。

こう云う「コレクターの想いを実現させたい」仕事(これぞプライヴェート・セールの醍醐味だ!)にこそ、最近の僕は気合が入る。作品はCさんよりも、僕よりも長生きするのだから、その「有るべき場所」が何処でも良い筈は無く、慎重に選ばねば為らないし、常日頃「日本文化の流失犯」と呼ばれる僕が、如何に「里帰り」もさせて居るかを証明するチャンスでも有るからだ。

そして色々な人々の協力のお陰で、幸いにも日本の有名企業が購入に名乗りを上げ、購入後はコレクションを某公立美術館に寄託し公開すると云う、Cさん一家に取っても作品に取っても、買い手に取っても僕に取っても、最高の条件が整った。

それから丸2年…Cさんは病気を克服したり、日本での旅を楽しんだり、コレクションの中からお気に入りの掛軸の「複製」を作って部屋に飾ったりしながら、複雑な契約書、作品検品や何度もの打ち合わせを経て、漸く契約締結。買い手からの支払いも終わり、そうしてこの日、滔々作品が長年住み慣れたアメリカを離れる日がやって来た…そしてこの日は、Cさんとコレクションとの永遠の別れの日でも有った。

僕が作品の最終チェックをして居る間、Cさんは落ち着かなさそうに、然し笑顔で「これで安心して年が取れる!」と笑顔で僕に話し掛けて居た。そしてCさんが書類にサインし、作品が彼女の手と心から離れた後、僕達はお祝いのランチを共にする事にした。

Cさんの運転する車でダウンタウンに向かい、有名なオシャレ和食店に行き、お互いソフトドリンクで乾杯。現代風の味付けの鯛のお刺身マリネや、チキンとフォアグラのダンプリング、そしてシェフズ・スシを食べながら、僕等はCさんが最近して来た旅の話をしたり、僕の将来の話をして居た。

そして食事が終わり、コーヒーの途中でCさんが化粧室に立ち、席に戻って僕の顔を見た途端、何時も笑顔のCさんの目から、大粒の涙がポロポロと溢れ始めた。

嗚呼、やっぱり…僕は思わず貰い泣きをしそうに為ったが、何とか感情を押し留め、如何にCさんが家族や作品の為に正しい事をしたかを話した。

頷きながら涙を拭うCさんの心には、自分の父親が何十年も掛けて集め、母が大事にして来たコレクションを手放す悲しさと寂しさが去来し、それは両親との、或いは大切にして来た子供との、最後の最後の別れにも等しかったに違いない。

が、自分も年を取り、自分が生まれる前から存在し、死んだ後も存在させるべき優れた美術品を次世代に残す「責務」を果たした今、Cさんが「自分の役目は終わったのだ」と思った事も想像に難くない。

世間では美術品を投資対象としか見ず、メディアも作品が高額で売れた時位しか書かない。だが特に古美術品の場合、自分が美術品を持つのではなく、自分が作品に選ばれて持たされて居る、と云う感覚を持つ者こそ、そして作品との別れに我が子との別れ程の寂しさを感じる人こそ、真のコレクターと呼ばれるに相応しいと思う。

食事が全て終わり、店を出て、Cさんとハグをし別れを告げる時、Cさんは「悲しくて辛いけど、(売った事に)後悔は無いわ」と微笑んだ。

この仕事をして居ると、余りにも小さな存在で有る自分が、大きな歴史の流れの中に飲み込まれて居て、然し、その片隅でほんの少しだけ何か役目を果たした様な気がする事が有って、それは僕の人生で何物にも代え難い。

そして人生には、お金や地位や名声よりも大事な事が有る…それはこう云う「人の気持ち」に触れる事で、僕はそう云う経験をさせてくれるこの仕事に携わって居る事を真に幸運だと思うし、誇りに思う。そして、そう思わせてくれる人々とモノへの感謝は尽きない。

これからCさんとは「顧客」としてでは無く、「友人」としての長い付き合いが始まる…Cさん、貴女が大事にして居たコレクションを近々日本で一緒に観る日迄、そして何時迄もどうぞお元気で!


ーお知らせー
*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://comingbook.honzuki.jp/?detail=9784062924337)が、来たる6月9日に「講談社学術文庫」の一冊として復刊されます。ご興味の有る方は、是非!