ITALIA+BRAZIL+AMERICA=JAPAN?

ニューヨークは湿気が凄く、また蒸暑くなってきた。

昨晩は、「食い友達」(笑)でユニオン・スクエアの近所に在るアメリカン・フレンチ「Tocqueville」と、ヌーヴェル・ジャパニーズの「15 East」と云う2軒のレストラン・オーナーであるマルコから「何してる?」と連絡が来て、A姫&P王子のカップル、我等地獄夫婦の5人で、彼のリクエストである「Basta Pasta」@チェルシーでディナー。

このマルコとの付き合いは、気がつけば早6年になる。そもそも我々には、共通の友人で中国人のケンと云う「世界的有名グルメ」が居るのだが、筆者が6年前に日本で結婚した時、ニューヨークでも何処かでパーティーをと思ってケンに相談した所、「マゴ、それなら良い所が有るよ!」と紹介されたのがマルコで有った。余談だが、このケンはデヴィッド・ブーレイやダニエル・ブリュ、ジャン=ジョルジュ・ヴォンゲリヒテン、フェラン・アドリア・アコスタ(エルブジ)等とも当然親しく、台湾で開かれた「ヌーヴェル・チャイニーズ・キュイジーヌ・コンテスト」の審査員も務めている。

当時からアート系やヒップな人達等に評判の高い「Tocqueville」だったが、流石にケンの紹介が物凄い効果を発揮したらしく、マルコが云うには、飲み放題且つ素晴しく美味しいフィンガー・フードを出して、何と1人$50でやってくれると云う…やはり持つべきものは、親しき友人である!

さてその日は、6月にも関わらずヒジョーに暑い日で、我等新郎新婦は紋付袴に着物姿、街行くニューヨーカーも興味深く「何処の国の礼装なの?」(やはり「礼装」とは判るらしい)とか、「これから何かイヴェントが有るの?」(コスプレと思われたか…)と声をかけられながらのパーティー開催となった。そして当初50−70人の予定であったこのパーティーも、会場で有る「Tocqueville」の名前が効いたらしく、コレクターや美術館、ギャラリーから等の、何と100人以上のアート関係者や友人達にお祝いを頂いた、素晴しい会となったのであった。

その後、散々お世話になったマルコとは友人関係を続け、事有る毎に彼のレストランを利用していたのだが、或る年の夏、多忙を極め世界を飛び回っているマルコ、ケン、筆者の3人が、滔々東京で落ち合う事が可能となり、1日半を一緒に過す、滅多に無いチャンスがやって来た。

「三人寄れば、文殊の知恵」とは常套句だが、我々の場合は「三人寄れば、鬼の食欲」(笑)。当然観光等はそっちのけで、食べ捲くる事で同意する。初日の晩は行き付けの旨い寿司屋「K」で、前菜からその日カウンターの冷蔵ケースに有った全てのネタ迄、旨い旨いと食べ尽くす。デザート迄食べ夜中前に解散したが、帰る間際に見せた「K」の店長始め板さん達の笑顔と云ったら無い…物凄い売り上げだった筈だから、そりゃそうだろう(笑)。

翌日は昼の時間帯だけしか3人で行動できないので、先ずはオークラの天麩羅へ。此処には、今は独立してしまったがKさんと云う「天才揚げ人」が居て、ハッキリ云って「K」や「F」(この人達も「山の上」以来知っているが)等よりも当時は数段旨かった。コースを食した後、「旨い蕎麦」が食いたいと云う事になり、今度はこれもオススメの九段の蕎麦屋「R」へ。鴨せいろや出汁巻き、その他ツマミまで食す。そうこうしている内に夕方近くなったが、やはりシメはデザートと云う事になり、四谷の鶴屋八幡へ行き葛切りを頂いた。

食後は、もう3人とも至福の表情と云うか、食べ疲れ気味で有ったが、しかし満面の笑みで抱擁し別れを惜しんだ。そしてマルコは京都へ一人旅、ケンは香港へ、そして筆者は東京で仕事と道を違える事となったが、この一日半の「食べ歩き」は、我々に取って本当に良い想い出と為った…云うまでも無いが、こう云うエクストリームな経験こそが、「友情」を深めるのだ(笑)。

昨晩のディナーも、マルコもその才能を強く認める高田シェフからのスペシャル・プレゼント、「ポーチド・エッグのバジル・ソース」から始まり、アペタイザー各種、そして大好きな「ウニのピリ辛・ニンニクスパゲッティ」等、もう旨すぎる!ワインの輸入を生業としているイタリア人P王子、ブラジル通のA姫と、祖父母がイタリアからの移民であるブラジル人のマルコとは話も合い、楽しい時を過した。

以前本人から聞いた話によると、マルコはサンパウロで育ったので、元々日系人が回りに多く日本食も好きだったらしいが、80年代初頭にニューヨークに出て来た時に、最初に勤めたのが日本の寿司屋だったそうで、彼の料理人としてのスタートは、所謂「寿司職人」なのである。

その時に、当時板さんと魚市場に一緒に行って魚や板前としての基本を勉強したそうで、その後独立する迄マルコは「ブーレイ」や「ザ・マーク」でシェフを務めたわけだが、その寿司職人としての魚の知識や包丁捌き、和食の基礎知識等は「ブーレイ」等でも重宝がられたに違いない。

そしてその経験は、今でも「Tocqueville」で出される、絶品のウニのパスタや鮮魚のカルパッチョ、出汁や和の食材がふんだんに使われている料理に現れているし、念願だったヒップな日本食レストラン「15 EAST」では元「Jewel Bako」の板さんを雇い、素材を吟味したオーセンティックな寿司と創作和食を提供する迄に到っているのだ。

日本の食文化は、イタリア系ブラジル人の少年時代の味覚に大きな影響を与え、その少年は後に「世界の食の激戦区」ニューヨークに乗り込み、寿司職人となった後、超一流フレンチ・レストランで修行を積んで独立。今では念願の寿司店を含む2軒の有名レストランのオーナーとなったが、恐らくその少年時代の俤を強く残す童顔のマルコは、昨日のディナーの最中も、「日本に行きたい」、「京都で美味しい物が食べたい」、「芸者に会いたい」(笑)とニコニコして話していたのだった。

こう云った時こそ、「食」を含めた「日本文化」の世界での影響力を何と無く誇りに思うし、それを愛するマルコの様な、外国の「日本ファン」を大事にしたいと思う…そしてこれからも「食友」マルコを応援して行きたいし、旨いものを食って行きたいものだ(笑)。