年末年始の「麻薬的」読書感想。

さて今日は、この年末年始に「麻薬的」に読了した、何冊かの本を紹介したいと思うので、暫しのお付き合いを。


バルテュス、アラン・ヴィルコンドレ著「バルテュス、自身を語る」(河出書房新社

筆者の大好きなポーランド生まれのアーティストが4人居る。

一人は作曲家フレデリック・ショパン、一人はソプラノ歌手エリザベートシュワルツコップ、一人は映画監督ロマン・ポランスキー、そして最後の一人は、画家のバルサザール・クロソウスキー・ド・ローラ、通称「バルテュス」で有る。

ご存知だと思うが、バルテュスの絵画はフラ・アンジェリコやピエロ・デッラ・フランチェスカ等の古典に多大なる影響を受けた、具象なのに何故かシュールに見える絵画で、見方に拠っては単なる少女趣味(ロリコン)絵画に見えるかも知れない。

が、実際彼が非常に敬虔なカトリック教徒である事や、伯爵家の出で有る事、リルケカミュセザンヌやボナール、そして石濤やドラクロワ等の影響を多大に受け咀嚼されている事が、彼の作品に或る種の優美さを与えて居り、このバルテュスと云う作家は、20世紀の画家の中でも個性的且つ、才能の有る作家の一人と云っても過言では無い、と個人的には思っている。

この著作は、そのバルテュス生涯最後の時代の所謂「聴き語り」で、彼の若い頃の想い出や家族に対する思い、制作思想(彼の芸術思想は、今の現代美術家の多くが失ってしまっている物だ!)、そして日常の生活風景を、アーティスト本人の率直な言葉で知る事が出来る。

そして、バルテュスのこれ等の気尊い言葉を読むと、彼が生前一日足りとも聴かない日は無かったと云う、モーツアルトの音楽が聞こえて来る様な気がする…それ程にこの著作は、ヨーロッパの香りを漂わせているのだ。

余談だが、先日行ったミネアポリス美術館にも、バルテュスの「Living Room」と云う大作が有ったが、この作家の「或る名画」が、かのマドンナの家の居間の壁にも掛かっていると云う噂も…さも有りなん、で有る。


増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)

何しろスゴい本で有る。

格闘技に詳しい畏友、作家H氏に勧められて読んだこの本は、「2段組700頁」に及ぶ大作なのだが、ほんの数日で読み切らせてしまう程に勢いの有る文章と、綿密な調査と非常に公平感の有る内容で、昭和の怪物柔道家(格闘家)、木村政彦の素顔と真実に迫る、空前のドキュメントで有る。

天下無敵だった木村の、鬼の稽古や豪放磊落な私生活、師牛島や愛弟子岩釣との交流や、格闘技史上最大の謎とされる「対力道山戦」の、恰も其処に居る様な臨場感迄、著者の筆の力強さは途徹も無く、読者は飽きる事が無い。

中高生の頃、全日の「NWA世界最強タッグ」や新日の「WWF選手権」等を観に行っていた身に取っては、この著作には坂口征二グレート東郷ジョー樋口等の懐かしい名前がオン・パレード、そして柔道、柔術、空手、合気道、ボクシング、キックボクシング迄、日本の格闘技(興行)史を俯瞰できるこの著作は、単なる格闘技史のみならず、「裏昭和史」としても読むに相応しい…余談だが、此の本を読み終わった後、大山倍達のファンに為っていたのは、何故だろう?(笑)

格闘技ファンならずとも、一読をお薦めしたい大力作で有った。


・志村和次郎著「富豪への道と美術コレクションー維新後の事業家・文化人の軌跡」(ゆまに書房

この本は、明治維新後に起業して財を為した著名な実業家達が、如何に事業を成功させ美術品コレクターと為り、美術館を作って展覧し、日本の伝統文化の存続に尽くしたかと云う「文化人たる事業者」への「プロセス」を分かり易く描く。

本書に登場する事業家達は、益田孝(鈍翁)を始め三井八郎衛門、住友春翠、岩崎彌之助、大倉喜八郎、藤田傳三郎、松方幸次郎、原富太郎(三渓)、大原孫三郎、出光佐三石橋正二郎根津嘉一郎小林一三、後藤慶太、野村徳七、原六郎と颯々たるメンバーで、しかもこの全員のコレクションは現在美術館となって居るので、我々は観覧する事が可能であると云う所も、この著作の「復習」をするのに嬉しい。

しかし21世紀の今の日本の経済界に、美術品に興味を持ち、購入し、公開する意思の有る事業家が何れ程居るだろう…?

以前「ホリエモン」事件の時にも思ったのだが、世界には彼位の金持ち等ゴロゴロ居る訳で、しかし世界を舞台に事業に成功し、その道の一流人達と真っ当に付き合おうと思えば、自分に確固とした教養と趣味が無ければ、相手にされない…何故ならこの位の金持ちのレヴェルに為ると、「人物評価」をする際に、金の有る無し等全く影響が無いからなのだ。

そして序でに云えば、文化・芸術の趣味や慈善活動程その「人物評価」に有効なモノは無く、しかも自分自身も楽しめるのだから、グリコの様に「一粒で二度美味しい」訳で有る(笑)。
なので、これからの日本の若い経済人には、六本木の億ションや高級車、2流タレントの彼女をゲットする様な事で満足せず、自己を磨き高め、世界の一流人達と対等に「文化」を語れる「術」を得て欲しいのだ。

此れは、贅沢な願いだろうか?


・「これを知らずに日本のアートに未来はない GLOBAL ART MARKET NOW !  総力特集 世界のアートマーケット」(美術出版社)

BT(美術手帖)の2012年1月号。

「アートマーケット」と云っても、所謂「現代美術」に限っての内容だが、「総力特集」と銘打っているだけ有って、かなり濃い内容と為って居る。

今号のBTは、現代美術マーケットのキー・プレイヤー達に直接インタビュー取材し、ゼロ年代以降のマーケットの検証と今後の行向、アジア現代美術等をデータと共にじっくりと読ませる…正直色々意見の有る箇所も有るが、読み応えは充分で有る。

昨年11月にクリスティーズ・ ニューヨークで開催された、チャリティー・オークション「Newday」も大きくフィーチャーされており、同僚が何人も登場するのも楽しいが、ニューヨークの友人で有る藤高晃右君や藤森愛実さんの文章、GION氏の写真がかなりフィーチャーされていて、その辺も非常に嬉しく拝読した。


福岡伸一著「動的平衡2 生命は自由になれるのか」(木楽社)

分子生物学者の同名科学エッセイ・シリーズの第2作。

第1作も非常に面白く読んだのだが、この2作目では「まえがき」に代えて、「美は、動的な平衡に宿る」と題されたアートに纏わるエッセイも収録され、後に続く、著者本来の分野の解りやすいエッセイと共に楽しめる。

今回著者がその冒頭で取り上げたアーティストを此処に挙げれば、ダ・ヴィンチ名和晃平若冲熊田千佳慕エッシャー宮永愛子勅使川原三郎フェルメールと幅広いが、自論である「動的平衡」の理解の一助となる事は間違いない。

或る意味「禅」に通じると云える、「人生で起こる事には、因果的に起こった事でも、予め決定されていた事でも無い。我々の世界は、原理的に全く自由である」と云う締め括りは、考えさせられる物で有った。


・レニー・ソールズベリー、アリー・スジョ著「偽りの来歴 20世紀最大の絵画詐欺事件」(白水社

筆者に取っては少々耳が痛い、実話を基にした絵画贋作事件のノンフィクションで有る。

イギリスを舞台にしたこの贋作事件は、「生来の嘘つき」と呼んでも差し支えの無い、自称原子力物理学者のドゥリューと云う男と、彼に唆されて贋作を画く事になるマイアットという画家のコンビが、如何にこの巨大詐欺事件を始め、逮捕されたか迄を、サザビーズやクリスティーズ、テイト・ギャラリーやジャコメッティ財団等の、実在の美術関連団体と共に克明に追いかける。

この作品を読むと、オークション・ハウスに対する信用が薄れてしまうかも知れない…が、云い訳がましいが、どんな目利きにも「魔の一瞬」は有る物で、況してやオークション迄の期日の決まっているスペシャリストには、作品調査の時間が充分に有るとは言い難い。

なので、例えばクリスティーズのセール・コンディションにも、「5年間の真贋保証」(オークションでの売却後5年間は真贋を保証し、もし贋作の疑いが有る場合には、学者に依る2通の信用に価する「エキスパート・オピニオン・レター」を買い手が持参すれば、返金に応じる)と云うシステムが有るのだ。

近代絵画の分野では、今ではこの事件が起きた頃よりも科学的調査が進んでいるし、レゾネ編纂作業も進んでいると思うので、状況はかなり異なる。しかし「贋作」と云う物は、美術品が存在する限り存在するのも事実なので、その辺を考慮して読んで頂ければ、中々面白い読み物だと思う。


・佐々木宏子著「現代美術と禅」(美術出版社)

曹洞宗の「僧籍」を持つ、画家で元女子美教授の著者に拠るエッセイ集。

自身の到達点と云える「青」のシリーズに至る迄に著者が出会った、禅的な美術と自身の作品を語るが、其処に登場する作品は、フォンタナ、牧谿宗達、ロスコ、マティスジャコメッティ、妙喜待庵、ブランクーシ、ベーコン、フラ・アンジェリコ、ライリー、龍安寺モンドリアン桂離宮、デ・クーニング、アルバース信楽壺とかなり幅広い。

そして著者の文章は、決して饒舌では無くどちらかと云えば詩の趣で、読む者は恰も「詩画集」を観ている様な気分に為る。

本書の最後にはタイトルに相応しく、曹洞宗の祖道元が、自分の修行経験に基づいて弟子達の為に35歳時に纏めた、「永平初祖学道用心集」が掲載されて居るので、それを記して置こう。

1.菩提心を発(おこ)すべき事。
2.正法を見聞きして必ず脩習すべき事。
3.仏道は必ず行に依りて証人すべき事。
4.有所得心を用(も)って仏法を脩すべからざる事。
5.参禅学道は正師を求むべき事。
6.参禅に知るべき事。
7.仏法を修行して出離を欣求(ごんぐ)する人は須らく参禅すべき事。
8.禅僧行履(あんり)の事。
9.道に向かって修行すべき事。
10.直下承当(じきげじょうとう)の事。


仏法のみならず、如何なる「道」を究めるにも基本と為り得る、善き言葉であろう。


寒い夜、暖かい飲み物と、ほんの少し甘いモノを頬張りながらする読書は、何とも麻薬的にアディクティヴである。